ものや人の様子や状態がよく観える人には、すごく敬意を抱きます。
それは僕にとって同じロルファー仲間であったり、セラピストや柔整の友人であったりもします。
言葉で表現しようとすれば「観える」というのは、洞察力や理解力が複合的に備わってる状態?なのかもしれないけど、きっとそんなめんどくさい、とらえどころのない用語の中に事実を埋もれさせてはいけないのだ、とも思います。
今のところ人生経験の厚みと、苦労と、深い愛情とが、僕の友人にさまざまなものを観る力を育てたのだと思っています。特に、自分以外の誰かのために必死で生きるということを経てきた人には、畏敬の念すら湧いてきます。
自分はセラピストとしてはまだまだあまりに未熟です。相手の側に立って寄り添うようにいられる在り方ができたらすばらしいな、と今は思うばかりです。
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