江東区、真島スタジオでのコンタクトインプロ(CI)のジャムに参加した日の、帰りの電車の中で。
不意に、自分は以前に比べていくらか頑固で、排他的、そして上から目線な傾向にあると感じた。
いや、「気がついた」というべきかも。誰かが指摘してくれたわけでもないから。そして以前近しい友人から指摘を受けてとても気持ちがぐらついた、その寸前までの自分の精神状況に近いように思えたから。
実際のところは、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらにせよ、頑固で排他的かつ巨視的なのは十年来の癖だから、気長に改善に取り組むつもりで生活してます。
そもそもそのことに気がついたのは、この日のCIのクラスとJAMが、いい意味で期待を裏切ってくれるものだったから。
高橋さんのリードでベーシッククラスが進んだ。リーダーとフォロワー、フォローとレジスタンス、ダンスを作り出している腕と完全に脱力している体の対比が面白かった。左腕で自分のダンスを作りながら、右腕はパートナーとコンタクトしてリードとフォローの関係性を模索し続けている。クリエイティブであろうとすればするほど、全体でのバランスが必要になることに気づき、左右の脳にまたひとつバイパスが開通したようなイメージが生じた。ハッピーな気持ち。
ジャムでMarkと充実した時間を過ごした。そして彼の力強さや安定性、リフトのスキル、合理的で力学的なムーブメントの発想を、僕は楽しんでいた。そして彼が僕の倍の人生を生きているわりに体が自由なのは、かれが子供のような好奇心をもって暮らしているからだと知った。僕が彼の肩の上でツイストしてから背中を滑ってすとんと地上に降りたとき、何かに対して腑に落ちた感じがした。そしてしばらくしたあとで、自由に仕事や生き方を選んで生活していくことは、自分が子供のように楽しむ心をもっていれば何とかなるもんだ、と直感的に理解した。
JAMのなかではよく、自分の役割やパターンなどをいつのまにか作り上げてしまっていることに気がつく。それは求められる役割(特にリフトすることとか)を積極的に引き受けることだったり、相手がついてこれる変化を考えて加減しすぎたりすること。目の前で、しかも触れている相手を見ずに、感じずに自分の思い込みやルーティーンで踊ってしまうことはとても失礼なことに違いない。そして僕はたまにそのことを見失い、疲労感に負ける。いいタイミングのブレイクを見出せずに、惰性に流されるのはきっと、美しくないと思う。これは、今の課題。
混乱しながらも、少しづつ、身体への学びをふかめていきたい、と改めて思った日曜の午後でした。
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